E.I.H(ホースマン)社製。パスポート未確認。ドレスはオリジナル。
名前:地域での伝承。
送り主:不明
配布先:志摩郡越賀尋常高等小学校(現在は志摩小学校に統合され廃校)
歓迎会写真:なし
ネブラスカ書簡:1通(松本美恵子さん)A479ー126
守った人:不明
1927年に人形を贈られた越賀小学校(志摩郡志摩町→志摩市志摩町)は、2017年4月に志摩小学校に統合されて廃校になりました。メアリも志摩小学校に移されました。
メアリが越賀小学校に届いたのは、メアリの木箱の墨書から1927年7月10日とわかります。ネブラスカ州立博物館に残る書簡を書かれた大井美恵子さん(旧姓・松本。当時小学校6年生。2002年死去)は「人形を迎える会では、人形と一緒に届いたアメリカからの手紙を全校の前で読み、人形を抱かせてもらって感激いっぱいだった。人形の名前はMaryではなかったかと思う」と言われています。大井さんは日系移民で、1925年にシアトルから日本に戻られた時に、家のカマドを自動車と間違えられたそうです。「越賀の方言は英語より難しい」とも言われていました。
また、以前はメアリの頭が割れていて、内部のスリーピング・アイの構造も見ることができました。この装置によって、目を開けたり閉じたりすることができます。
現在はきちんと修復されています。
1983年に開催された日米友情交換人形再会式(11月10日 日本青年館)にメアリも参加し、絵葉書も作られました(下の写真)。
2017年の「ミス三重」里帰りの時に、ギューリック3世ご夫妻が志摩小学校を訪問する予定でしたが、新しい学校ができた直後で実現しませんでした。
英語を理解でき、上手に発音もできたので、歓迎会の代表に選ばれ、お礼の手紙も書かれたのでしょう。
志摩町は移民を送り出した家が多く、アメリカ村と呼ばれる地域もあります。人形名が「メリー」でなく「メアリ」と原音に近いのは、このような背景があったからかも知れません。
メアリの背中についていた発声器(左)は外れていたので、細部を見ることができましたが、現在はメアリの体に戻されています。
メアリは1974年の校舎改築の時に、旧校舎の屋根裏から見つかったという伝承が残されています。戦争中は、小学校の教頭先生が近くにある「越賀の舞台」の屋根裏に隠したという伝承もあります。
中日新聞の記事(1975年10月11日伊勢志摩版)には、1975年の夏休みに旧校舎の理科室で見つかったと書かれています。
記事によると、理科室の一角に埃をかぶった木箱があり、その中から見つかったそうです。
その再会式に参加した記念として贈られたアルバムも志摩小学校に保存されていて貴重です。当時の写真もたくさん収められています。