三重の人形交流の資料

現存する三重の人形9体
現存する三重の人形9体

 1927年のアメリカと日本の人形交流についての三重県の資料は、奇跡的にたくさん残っています。それらの資料などから、人形を送られた200の小学校・幼稚園のうち、168が判明しています。

 

①歓迎会の写真

 1927年に友情人形(「青い目の人形」)が贈られた時、アメリカ側から「歓迎会の写真を送ってほしい」という要請がありました。そのため多くの学校で写真が撮られています。

 各地で撮られた写真が確認されていますが、「横浜人形の家」(横浜市中区山下町)が所蔵されている佐々木資料は特に注目されます。

横浜人形の家(ウェブページより引用)
横浜人形の家(ウェブページより引用)

 これは当時文部省の事務官を務め、人形交流に深く関わった佐々木豊次郎氏が所蔵されていた歓迎会写真ですが、なぜか大半が三重県のもので、三重県で撮られた写真が28枚あります。中には人形の前で相撲を取っている写真(鳥羽市立加茂小学校)、子どもたちがひな人形になっている写真(津市美良幼稚園)などすばらしい写真がたくさんあります。

 現在、歓迎会などの写真が確認されている三重県の小学校・幼稚園は42です。

ネブラスカ州立博物館
ネブラスカ州立博物館

 

②ネブラスカ書簡(三重の子どもたちからの手紙)

 友情人形のお返しに日本から贈られた58体の答礼人形。三重からは「三重子」が贈られましたが、人形には三重県の子どもたちが書いた手紙も添えられていました。

 その手紙が、答礼人形「ミス三重」が大切に保存されているネブラスカ州のネブラスカ州立大学に大量に保管されています。私たちはネブラスカ書簡と呼んでいます。

 2008年と2016年の調査によって、ネブラスカ書簡の総数は217通で、142の小学校・幼稚園が判明しています。

 

③新聞記事、市町村史、小学校資料など

「青い目の人形」が贈られた1927年3月頃から7月下旬にかけて、当時の新聞に歓迎会などの記事が多く見られます。同年9月頃からは答礼人形「三重子」や送別会の記事が増えてきます。県立図書館などで検索が可能です。

 また、市町村史で説明や写真が掲載されていることも多いです。

 さらに、小学校や幼稚園が所蔵している古いアルバムから歓迎会などの写真が見つかることも多いですし、当時の先生や保母さんの個人アルバムからも発見されています。まだ悉皆調査がなされていないので、新しい資料が見つかる可能性が高いです。