ネブラスカでの交流 『人形大使「ミス三重」90周年里帰り展記録』(18年)より増補加筆しました
17年9月28日の朝8時にセントレアを出発し、羽田空港とオヘア空港(シカゴ)を経由して、9月29日午前4時(現地時間28日の午後2時)にネブラスカ州のオマハ空港に着きました。
一行は野呂幸世、滝澤秀行、岩脇 彰の3人です。
オマハ空港ではネブラスカ大学州立博物館のスーザン・ウェラー館長、2010年の「ミス三重」里帰りからずっとお世話になっているデボラ・スタージョンさんの旧知の方に加え、ネブラスカ大学川崎文庫の佐藤まどかさん、在オマハ日本国名誉総領事のジョージ・ベリンジャーさんと初めてお会いしました。
飛行機でほぼ1日かかるような遠い所で、私たちを待っていて下さる方がみえるのは、とても嬉しいですし、「ミス三重」のおかげです。
夕食はデボラさんお薦めの美味しいイタリアン、その後オマハのダウンタウンを馬車でコトコトと巡りました。
ファイアリッジ小学校での交流(29日午前)
9月29日の午前に、オマハのファイアリッジ小学校を訪問しました。デボラさんのお子さんが通う小学校で、デボラさんがゲストで5年生に日本のことを教え、8月30日に三重の豊地小学校(松
阪市)の6年生とスカイプを使って交流をした学校です。
デボラ・カヌットソン校長に広い校舎内を案内して頂いた跡、5年生と交流をしました。
最初に豊地小学校とのプレゼント交換、会員の伊藤貞夫さんからお預かりした絵本の贈呈、会から「桑名の連鶴」を贈ると歓声が起こりました。
それから、折り鶴を子どもたちと楽しみました。滝澤さんが即興で作った「羽ばたく折り鶴」が大好評でした。あっと言う間に楽しい時間が過ぎました。
昼食はデボラさんの自宅で、スーザン館長やデボラ校長も一緒に頂きました。作って下さったのはバーベキュー・プルド・ポークのサンドイッチで、とても美味しかったです。子どもたちは校長先生も一緒なので嬉しそうでした。
デボラさんのお宅はとても素敵で、広々としていてさすがアメリカだと思いました。バルコニーからは広い芝生の景色が広がります。
デボラさんありがとうございました。
この日はずっと車で移動しましたが、車はスーザン館長が運転して下さり恐縮でした。本当にありがとうございました。
すてきな町オマハと金子潤(29日午後)
29日の午後は、在オマハ日本国名誉総領事のジョージさんにロリッツェン・ガーデン、ファースト・ナショナル・タワー、金子スタジオを案内して頂きました。
ローリッツェン・ガーデンは2011年の訪問時にも訪ねたことがあり懐かしかったです。
金子さんの作品は市内のギャラリーをはじめ、ローリッツェン・ガーデンにも飾ってありました。オマハ市でとても大切にされていることが伝わってきました。
その後、スーザン館長に運転して頂きオマハからリンカーンへ。ハイウェイを1時間ほどでした。アメリカのハイウェイは車線が多くゆったりとしていました。
ファースト・ナショナル・タワーではジョージさんのおかげで特別に最上階まで上がることができ、すばらしい景色を楽しみました。
初めて知ったのは金子スタジオです。
1942年に名古屋で生まれた金子潤さんは、1986年からオマハにスタジオを作ります。
テイル・ゲイティング・パーティ(29日夜)
29日の夕食はネブラスカ大学リンカーン校のビジターセンターで、テイル・ゲイティング・パーティです。これは、スポーツ観戦の前に競技場の駐車場とかでバーベキューなどをして楽しむアメリカの文化です。
リンカーンで(30日)
ホテルでの朝食の後、9時半にウェラー館長さんと川崎文庫のお手伝い、ナオミ・ロドリゲスさんにホテルまで迎えに来ていただきました。行く先は、ホテルから10分ほどのヘイマーケットの土曜朝市めぐりです。駅舎の前の広場を中心に道路も歩行者天国となり、多くのテントが広がっていました。時期的に飾り用の大きなカボチャがたくさんならべてありました。値段は、4~5$。
ホテルには11時に戻りました。これからが本題です。ウェラー館長の部下のマイケルさんに農場の見学に案内をお願いしてありました。
リンカーンの中心部より車で一時間強、西へ行ったところにフレンドシティという名前の町がありまして、そこにマイケルさんのお母さんのお友達の農家がありました。農家といってもお宅は町のなかで、裏手にはパブリックのゴルフコースのグリーンの旗がみえる、なかなか優雅な田舎町でした。お昼はそこでごちそうになり、デザートタイムでは、プレスリーやポールアンカの歌の話で盛り上がりました。
り、4000エーカー(1エーカー;約4000平方メートルとのこと、町歩でいうと約1600町歩ということになります。なんと広いこと! ネブラスカが農業州だというこの一端がわかりました。途中親戚が営んでいる牛の牧場(室外放牧)を見学して中心部へ戻りました。
中心部までの小一時間道路の両端は、はたけ、畑、はたけ、圧倒されました。
「ミス三重」展示オープニングセレモニー
(10月1日)
10月1日はネブラスカ大学州立博物館モリルホールの「ミス三重」90周年記念展示へ。この日から12月31日までの開催で、オープンニングセレモニーにゲストとして参加しました。
セレモニーはスピーチの後、全員で「ハッピーバースディ・ミス三重」を歌いました。
そしてスーザン館長、グリュー元館長と一緒にテープカットをさせて頂きました。
会場では、名前を漢字して書く書道のパフォーマンスや折り紙教室が行われました。琴・ヴァイオリン・ギターの演奏もありました。
Photo Courtesy University of Nebraska State Museum, Brett Hampton ®
Photo Courtesy University of Nebraska State Museum, Brett Hampton ®
パーティは赤一色。大画面でハスカーズ(ネブラスカ大学のアメリカンフットボールチーム)の試合を見ながら、ロシアやベトナム・日本などさまざまな国から大学に集まった方たちと楽しく話ができました。本場の「GO BIG RED!!」も聞くことができました。
途中で、ウェラー館長のご主人も待っておられて、総勢5名にてぶらりぶらり。私は土産用に乾燥ヴェジタブル、蜂蜜、孫用に手作りの可愛い腕輪を購入。たくさんの人が、食べ歩きやら知人同士の会話やらで大賑わいでした。
食後、大きな四輪駆動の車をお母さんの運転で大豆畑まで案内してもらいました。農場まで着くのに20分以上かかったと思います。ご主人とその弟さんが大豆の収穫中でした。
我々は、コンバインとストッカーとに分かれ、体験乗車。コンバインは、幅10メートル以上あるブレードで刈り込んでゆきます。広い農場の大豆畑もみるみる刈り込んでゆきました。
ご兄弟で管理している畑では、コーンと大豆を作っているとのこと、畑の総面積を聞いてびっく
ディナーパーティ(30日夜)
30日の夜は、リンカーン・カントリー・クラブのレストランで、グリュー元館長主催のディナーパーティをして頂きました。フォーマルなパーティを体験できました。フォーマルと言っても、とてもフレンドリーで和やかな雰囲気で、リンカーンにお住まいの日系の方々ともお会いできました。「ミス宮城」の所有者であるドロシー・バーキーさんとご友人のダイアンさんも、私たちのために遠くから駆けつけて下さいました。
Photo Courtesy University of Nebraska State Museum, Brett Hampton ®
展示はすばらしく、1927(昭和2)年の人形交流や、戦争中に守られた人形のことも詳しく説明されていました。
ミエムでのオープニングセレモニーでスーザン館長が出会った浦山ふみさんにスポットを当てた展示もあり、「ミス三重」だけでなく人形交流全体を伝えたいというスーザン館長の熱意を感じました。
また、「ミス三重」の着せ替えをすることで和装について伝えるパネルもユニークでした。
Photo Courtesy University of Nebraska State Museum, Brett Hampton ®
Photo Courtesy University of Nebraska State Museum, Brett Hampton ®
川崎文庫でのフェアウェル・レセプション
(10月1日)
セレモニーの後、大学内の川崎文庫でレセプションをして頂きました。川崎文庫はネブラスカ州に工場のある川崎モーターズの寄付で作られた図書館で、日本の書籍や雑誌、DVDなどが閲覧できます。
川崎文庫のディレクターである佐藤まどかさんのお計らいで、日本料理がたくさん用意され、お寿司やたこ焼きもありました。美味しく頂きながら、スーザン館長、デボラさん、佐藤さんたちと話をしました。佐藤さん、すてきな時間をありがとうございました。
10月2日にスーザン館長や佐藤さんに見送って頂き、リンカーン空港からシカゴを経由して帰国しました。
ネブラスカに滞在中の食事はほとんど大学の方やデボラさんに招待して頂き、いろいろな方と楽しい時間を過ごせました。
また、すばらしいプランを立てて下さっただけでなく、滞在中の移動に車を提供して下さり、ご自身で運転もして下さったスーザン館長に、特に感謝したいです。
どうもありがとうございました。